こんにちは。SATOMIです。
前回の記事では、イギリスの中世前期(410年から1066年まで)の建築史を見てきました。今回はイギリスの建築様式を一緒に学ぼうシリーズ第二回目、中世編。
もしまだ前回の記事を見られてない方ははじめにイギリス中世前期の建築史ページをチェックしていただくと理解しやすいと思います。
イギリス中世の建築について(1066-1485年)
1. イギリス中世の建築史をざっくりと
イギリス中世は、フランスからやって来たウィリアム一世がイギリスを征服した1066年から、ヘンリー7世による統治が始まるまでの時代を指します。
ヨーロッパ全体が文化的・経済的に衰退していたこの時代のイングランドの建物は、「文化に合う」ことよりも「目的に合う」ことが重視され、宗教、市民、軍事活動のための合理的、かつ機能的な建築が建てられていきました。
これまでに定着したアングロサクソンの建築とヨーロッパ大陸からもたらされた建築様式が混ざり合う形で、新たな建造物が生み出され、その建築様式をノルマン様式と呼ぶようになります。(アングロ・ノルマンやアングロ・フレンチなど、アングロサクソンの建築が混ざっていることを示唆する名称で呼ばれることもあります)。
また、経済が繁栄した13世紀のイングランドでは建築の最盛期を迎え、建築が誰にとってもアクセスできるものへと変化を遂げていきます。フランスから渡ってきたゴシック様式の大聖堂や教会が、資金を持った司教などによって、イギリスの地でも姿を表すようになります。
14世紀前半に黒死病や気候変動による飢饉によって招いた大量死と、銀不足や戦争の資金集めのための重税で、国の情勢が衰退すると同時に、建築発展の勢いは失速しますが、人口が減ったことによってかえって、残った人々に豊かさがもたらされたイングランドでは、また圧巻の建築を生み出すまでに復活していくのです。
2. イギリス中世建築の特徴をくわしく
(1) 国王・貴族の建築
・1066年、フランスのノルマンディーから海を超えてやってきたウィリアム一世をはじめとするノルマン人によりイングランドは征服されることになります。ウィリアム一世とその領主たちは彼らの権威を誇示するために城など数多く建設していきました。
・中世初期の要塞は外観の美しさよりも建設の速さが重視され、シンプルな構造に、入手しやすい木材が使用されていました。しかし、12世紀頃になると、分厚く高い壁に覆われた石造の頑丈な城を建設するようになります。このときに生まれた荘厳な石造建築はもともとフランスのノルマンディーで見られていたわけではなく、ノルマンディーの様式とイングランド中世前期に生まれた建築様式が融合して、独自のスタイルとして新たに生み出されたものでした。
・封建社会であった中世のイギリスでは、領主(中世後期は農民から地代を取るのみの貴族地主に変わっていく。貴族の原型。)は各地に要塞化された大きな家や城、宮殿を所有していました。12世紀頃からの建築の特徴として、階級の違いを表すためにサクソン人が有していたホールを模倣し豪華にしたものを建築に取り入れていきます。(ホールはサクソン人が食事や睡眠、応接のために使っていた簡素な広間)。
・これまでキッチンや寝室、パントリーなど機能によって別々の建物に分かれていた設計が、12世紀後半頃から一つの大きな建物の中にすべて収容されるようになっていきます。個々に独立した部屋を確保できるようになり、宮殿はより快適で多くの時間を過ごせる居心地のいい場所へと変化していき、このデザインは領主などの高地位な人々の家を中心に頻繁に見られるようになっていきました。また、個人の部屋を敷地内に持っているということを、大広間に招いた訪問者たちに知ってもらうことが、彼らのステータスでもありました。
・農業や銀で経済的な安定を果たした13世紀のイングランドでは、人口が急激に増加。国全体が豊かになったこと、また石工技術が発達したことを背景に、中世建築において最盛期を迎えます。
・これまでイングランド各地に複数の家を保有して移動を繰り返していた領主たちが、13世紀頃から家の所有を少数に抑えて一箇所に長く定住するようになり、一つの家をより大規模に建てるようになっていきました。城のような外観に、複数の部屋に分かれた内装、また、中庭を囲んだ城の設計などがこの時代の流行りになります。また、室内には倉庫スペース、ワインセラー、ワードローブなど、長く住むために必要な部屋や家具が導入されるようになりました。
・領主たちが他の街に出掛けた際の宿泊場所として「イン」(現在でいうホテルなどの宿泊場所)が人気を集めた始めたのもこの時代。各地の領主や修道院によって建てられたインは、ホールは一般客向けの共有スペースとして、プライベートの部屋は領主などの上層階級が食事や宿泊する場所として提供され、彼らの収入源となっていました。
・大飢饉、黒死病、フランスとの百年戦争を経て、安全な暮らしが戻りはじめたイギリス。防衛が最優先事項ではなくなった15世紀頃からは、より快適さを追求した家の建築に力を注ぐようになります。内装はより多くの部屋に分割され、プライバシーを確保するようになりました。また、北ヨーロッパやフレミング、オランダ、ドイツからレンガ作りの技術(色の塗装や統一されたサイズで作るなど)が持ち込まれ、建築でのレンガの使用が美学として捉えられるようになり、ヘンリー五世以降、城の建築において好んで使われるようになっていきました。
(2) 宗教建築
・12世紀には、フランスにおいて新たな建築と装飾のスタイル、ゴシック様式が誕生し、当時のイングランドでは「フランス様式」と呼ばれていました。ローマ帝国末期にローマを略奪したゴート族にちなんで、ゴシックと呼ばれるようになります。優美で軽やかなゴシック建築は、十字軍遠征時代にアラブとの接触で学んだ建築技術を発展させたもので、尖頭アーチ、リブ付きヴォールト、控え壁(バットレス)などの革新的な技術が取り入れられていました。重厚的だったイギリスのノルマン式建築はゴシック様式の導入によって、窓やヴォールトや尖塔が高くそびえ立ち、柱も細くなって、より軽やかな印象へと変わっていきました。12世紀後半から16世紀後半頃までイングランドで見られたゴシック様式は一般的に大きく3段階に分かれています。イギリスのゴシック様式について、別の記事で詳しく紹介します。
・13世紀は前述したように中世期の宗教建築でも最盛期を迎えていました。石工技術が飛躍的に伸びたイングランドにおいて、司教の潤沢な資金によって、よりお金のかかる美しい装飾のゴシック式の教会が建設されるようになっていきます。シンプルで構造としてのみ存在していたヴォールトも、装飾の一部としてより豪華で手の混んだデザインに変わっていきました。
・石工技術の発展により、薄くて頑丈な壁を施せるようになったため、教会にはトレーサリー(窓の上部に施される石造りの装飾的な部材)や大きな窓に施されたステンドグラスなどが施されるようになり、ゴシック様式の特徴である、光と高さを強調した教会が作られるようになっていきました。
・14世紀前半に起きた気候変動による飢饉、そしてその後すぐヨーロッパで流行した黒死病によって、修道院は大きな借金を抱えたために、建築においては、増築や一部の再建などのみにとどまり、この時期は、一からの再建築は著しく見られませんでした。15世紀後半からまた経済が回復を見せ、富を主張する、塔を有した教会の建設が人気を生むようになっていきます。
(3) 一般建築
・12世紀後半頃になると、経済の安定によって裕福な農民が現れるようになります。これまでは、木材をただ地面に埋めて建てられていた簡易的な家が、石を基盤とした堅牢な造りとなり、家に長期投資する流れが生まれました。ベイウィンドウなどが施された装飾性を持った家などは、この時期に見られ始めたデザインの一つです。施錠可能でプライベート空間が担保された家は、都市、郊外ともにこの時期に浸透していったスタイルでした。
・この時代のイギリスの一般の住宅や商店は、豊富に採集できたオーク材を利用したハーフ・ティンバーと呼ばれる建築スタイルが主流で、この後のチューダー形式で更に進化を遂げていきます(ハーフティンバーとは、柱や梁、筋交いなど木の構造材を外側にむき出しにし、その間を漆喰など他の素材で埋めた建築。ティンバーとは英語で木材のこと。)
・14世紀半ばに約6割もの国民が命を落としたイングランドでしたが、人口が減ったことによって、十分な食料が行き渡るようになり、賃金も上がり、人々がよりよい仕事につけるようになったため、イギリスの情勢は15世紀になると回復の一途をたどります。そんななか、国が農民に対して高い課税を掛けようとしたことをきっかけに、農民の一揆が起こり、農民の地位が向上。豊かになった農民もホールなどを取り入れたより大きな洗練されたティンバーフレームの家を建てていくようになりました。
3. 行ってみたい!イギリス中世建築が楽しめるスポット
・ロンドン塔(Tower of London):ロンドン塔の中心にあるホワイトタワーは、1078年に征服者ウィリアムの命令でグンドルフ司教によって建設開始。1097年に完成し、ノルマン人の支配力を示すシンボルとしても役割を果たしていました。
・ダラム大聖堂(Durham Cathedral):イングランド北東部のダラム州ダラム市にある世界遺産にも認定されているイングランド国教会の大聖堂。1093年にウィリアム・デ・セント・カリレフ司教によって着工され、1175年頃に完成。堅牢な柱と丸みを帯びたアーチが特徴的な、ロマネスク様式を取り入れたイギリスのアングロ・ノルマン建築。13世紀に建てられた9つの祭壇の礼拝堂はゴシック様式で建てられました。ダラムは北イングランドのため、ロンドンからだと時間がかかりますが、見る価値ありの建築。
・ウェルズ大聖堂(Wells Cathedral):イギリスのサマセット州ウェルズにあるイギリス初のゴシック建築で建てられた大聖堂。1175年から1490年に掛けて建てられ、 ”イギリスで最も詞的な大聖堂(The most poetic of the English Cathedrals)”と謳われています。写真にある、独特な”Scissor Arches”(ハサミ型アーチ)や圧巻の西正門、ステンドグラスは見もの。ロンドンからだと、ブリストルまで電車で行って、バスに乗り換える方法で、約3時間で到着します。
・グロスター大聖堂(Gloucester Cathedral):イングランド南西部、グロスターシャーにある、グロスター大聖堂は、11世紀から15世紀に渡って建造され、ロマネスク様式とゴシック様式の融合を楽しむことが出来ます。美しい回廊のファンボールトとステンドグラスは必見です。ロンドンからは電車で二時間強くらいです。
・リンカン大聖堂(Lincoln Cathedral):世界有数のゴシック様式大聖堂の一つと知られるリンカン大聖堂はイングランド東部リンカンシャー州にあり、最初はロマネスク様式で建てられましたが、1192年以後ゴシック様式で再建されました。ロンドンからだと電車で3時間弱です。
・ドーバー城(Dover Castle):ドーバー海峡を臨む海岸の岸壁上に建てられたドーバー城は、ヘンリー三世によって1227年に現在の石造りの城に再建。壁の厚みが6m近くあるという、防衛力に優れた、イングランドへの鍵という別名を持つイギリス最大級の城塞として知られています。ロンドンから電車(あるいは車)で二時間弱で行くことができます。
・カンタベリー大聖堂(Canterbury Cathedral):イングランド南東部ケント州にある英国国教会の大本山、カンタベリー大聖堂は、もともとアングロサクソン時代にローマ教皇の指示によって建てられ、その後ウィリアム一世によってノルマン式の建築に建て替えられます。1174年に起きた火事によって焼失した建物は、イギリス初のゴシック様式の建築として12〜16世紀にかけて再建され、他の教会建築に多大な影響をもたらしました。写真は1300年代に垂直式ゴシック様式で建てられた身廊です。(以降も幾度と再建築が続き、同大聖堂内でバロック様式なども見ることが出来ます。)ロンドンからは電車で約一時間半くらいで行くことが出来ます。
・ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral):1220年から1258年にかけて建てられたソールズベリー大聖堂は、英国ゴシック建築の最高傑作の一つとして知られ、1066年のヘイスティングスの戦いでウィリアム征服王がイングランドとウェールズの支配権を獲得した後に建てられた20の大聖堂の一つ。大聖堂は、初期イギリスゴシック様式で建てられ、現存する4つのマグナ・カルタのうちの1つを所蔵していることでも知られています。ロンドンから電車(あるいは車で)約1時間半南下した、ソールズベリーにあります。
いかがでしたでしょうか?引き続き、イギリスのチューダー朝・エリザベス朝建築もお楽しみください。
参考文献(すべて英語です)
・Gresham College イギリス建築史がとても良くまとまっている動画で、おすすめです!
・BBC