If I don’t have red I use blue.
赤が無いときは、青を使えばいい – パブロ・ピカソ
イギリスに渡る前の私は、世の中には”赤”しかないと思っていて、でも思い切って外に飛び出してみたら、もっと違う絵の具や、それを描く道具、キャンバスがあるってことに気づいた。
イギリスで暮らすことを決めた理由
小学校から大学まで学習院という都内の私立一貫学校に通わせてもらい、両親のおかげでこれといった不自由を感じることなく過ごしていた私は、そこで過ごしてた日常が当たり前だと思っていた。そんななか私の人生のターニングポイントになったのは、大学4年で語学留学に訪れたロンドンでの2ヶ月半の生活だった。
留学から戻ると、内定をもらっていた大手食品会社の営業で働き始め、恵まれた社会人生活を送っていたけれど、脳裏に焼き付いていたロンドンでの刺激的だった時間が、いつもどこかで頭に過ぎんで、将来の理想とのギャップに違和感を覚え始めた。ずっと悩んで泣いて、今ふりかえるとすごい弱い人間だったなと思うその時の私が、とりあえず何でも良いからイギリスに行こうってやっとのことで決心したのは、社会人になって3年経ってのことだった。
特別なにかができたわけでもないし、英語もろくにしゃべれないし、友達もいないし、仕事もない。日本では必要だと思ってたものすべてがあって、若いながらにも少しずつ築き始めてた生きていくための基盤が全部白紙になってしまった。でもそのときは、見えない将来に対するワクワクした気持ちが抑えきれなかった。
閉鎖的だったそれまでの対極的な20年以上の人生がもしなかったら、何もかもが叶えられるんじゃないかって思わせてくれるような、自由な雰囲気を醸し出していたロンドンの世界に、あんなにも焦がれることはなかったかもしれない。
紆余曲折なイギリスでの生活
日本人とはしばらく距離を置くと決めたイギリスでの生活は、最初はとにかく慣れることに一生懸命で、英語に、友達作りにいっぱいいっぱいだった。弱いところを見せるのが苦手だった私は、英語がしゃべれないことがコンプレックスで、イギリスの友達ができないのはそのせいだと自己嫌悪に陥り、両親と同年代のホームステイ先の家族には酷い嫌がらせもされ、英語の勉強ではじめたホテルのレセプショニストは自分のあまりの英語のレベルの低さに同僚にもからかわれて、しまいにはお客さんにトリップアドバイザーで悪評かかれて(笑)。もうはちゃめちゃで、日本で築かれてたプライドとか全てがずたずたにされた気分だったけれど、でも日本を離れて完全に自立して人生を再スタートすると自分自身で決めてたからこそ、この状況をいつか絶対笑って話せる日が来ると信じて、とにかく見えないゴールに向かって進んでいるような感じだった。でも、このときに習い始めた油絵が、そんなわたしのイギリスでの「存在意義」を見い出してくれた。これまで勇気がなくて行けなかった世界や出会ってみたい人に繋げてくれたのが絵画だったし、いつの日か、絵を描くことが私にとって心の安定剤になっていった。
「自由」に慣れる
ワーキングホリデービザでの2年間の英国滞在が終わるぎりぎり1ヶ月前、半年前から働きはじめていた英系のデジタルマーケティングの会社にビザスポンサーになってもらうことがようやく(!!) 決定した。それまでの2年間、大好きなイギリスに継続して住めるかどうか、いつもこの不安と隣り合わせだった私は、その心労から一気に開放されたからか、ビザ申請を待っている間(これも本当にビザが取れるかさえわからなかったのでハラハラでしたが)、仕事をリモートでしながら旅に出ることにした。ラオスの片道チケットだけ手にして。
結局、会社からビザ通過の連絡があるまで滞在し続けた3ヶ月間の東南アジアの旅は、私のそれからの人生観を変えてくれる大きな転機になった。ベトナムではドクさんに偶然出会って一緒にお茶をし、片足だけの彼のために作られた特別なバイクの後ろに乗ってけてもらってホテルまで送ってもらったり、タイでは足を骨折をしてホテル暮らしを強いられてラオスで出会った友達に助けに来てもらったり、旅の間に起きたさまざまな出来事はここでは書ききれないほどなので別の機会に書きたいと思いますが、とにかく、今までに巡り会うことのなかった全く違う人生を歩んできた人たちの価値観に触れた旅は、イギリスや日本にいては気づかなかった何かを与えてくれた。
仕事をしながら旅をして、その土地その土地で絵を描いたり、現地のアーテイストや伝統工芸の職人に会いに行ったり、現地のホームパーティーに参加したり、、これまで自分が知っていた「自由」をはるかに上回る「自由」を経験させてもらったおかげで、なにかのストッパーが外れたかのように、自分の行動や考え方が変化していった。
私には大好きな印象派画家がかつてそうしたように、生涯一度は親しんだ街を離れて地方で絵に没頭してみたいという小さな夢があった。イギリスに戻るとそれを叶えるため、海の素敵なイギリス南西の地、コーンウォールに3ヶ月間移り住み(引き続き同じ会社で働きながら)、現地のファミリーと一緒に暮らして、自然やそのコーニッシュ家族にインスパイアされた絵を描く毎日を過ごした。そこでの人との出会いや経験は何にも変えられない自分の財産になり、自分史上最高の夏の思い出のひとつになった。
好奇心と直感の赴くままに – これから私がやっていきたいこと
私は幼少期に両親にたくさんの習い事に通わせてもらっていた。ヴァイオリン、新体操、書道、ピアノ、水泳、塾、それに中高6年間はバドミントン部で大学4年間はゴルフ部などジャンルは問わなかった。そして社会人になると自分で生花のレッスンに通い詰めて、イギリスに来る前は、日本舞踊、着付け、茶道、料理等もかじった。以前は、習ったことすべてが中途半端に終わっていたことに少し悲観的にになっていたけれど、今振り返るとそれが自分の知的好奇心の源になっていると思っていて、少なくとも、この探究心旺盛な性格がこのサイトをはじめるきっかけになったのは間違いない。
常に好奇心の赴くままに人生を生き抜くのが私の生きていく上での不変のテーマです。生涯をかけて自分の描きたい絵画を探求して、作品がイギリスや日本など世界のさまざまなところ住んでいる人に楽しんでもらって、絵を通して出会う素敵な人たちとの縁を大切にしていけたらと思っています。絵以外にもやりたいことはたくさんあって、例えば、釉薬の入れ方が自分好みの陶器を作れるようにもなりたいし、将来住む家を自分のスタイルでデザインしたいし、商品デザインもしたいし、本場でフランス料理も習ってみたいし・・挙げだしたらきりがないんですが、毎日毎日をしっかり丁寧に生きながら、いろんなことにこれからもフットワーク軽く挑戦してみたいと思っています。
最後に、このように自分が望む生活が出来ているのも、周りの人たちの理解があるからこそだと、心から思っています。この場を借りてぜひお礼をさせてください。
拙いライティングでしたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。このサイトを読んでくださっている方々の日頃の生活に、少しでもなにか刺激を届けられるような、そんなサイトになっていたら光栄に思います。これからも、見守っていただけたら嬉しいです。
SATOMI