(リトル・モートン・ホール Little Moreton Hall :credit )
こんにちは。SATOMIです。
これまで2回に渡って解説してきたイギリスの建物と建築様式シリーズ。最初の2回は中世のイギリス建築についてお伝えしました。今回は1485年から1603年のチューダー朝~エリザベス朝時代のイギリス建築について取り上げていきます。
もしまだ前回の2記事を見ていない方は、先にそちらをご覧になってくださいね。
イギリスの建物と建築様式① – 特徴と歴史をわかりやすく – 中世前期 編
イギリスの建物と建築様式② – 特徴と歴史をわかりやすく – 中世編
チューダー・エリザベス朝建築について(1485-1603年)
1. イギリス中世の建築史をざっくりと
チューダー・エリザベス朝とは、国王ヘンリ7世、ヘンリ8世、エドワード6世、メアリ1世、エリザベス1世がイギリスを統治した15世紀末から16世紀のイギリス絶対王政最盛期の時代を指します。
中世13世紀頃からイギリス独自の建築様式が形作られてきたイギリスで、ヘンリ八世統治下で確固たるものにします。
ヘンリ八世が起こした宗教改革によって、ローマ・カトリックから英国国教会として独立したイギリスでは、中世で強い権力を握っていた修道院は解体され、修道院が所有していた土地は国領として没収されます。その土地がジェントリや商人に渡り、彼らが新たに家や商店などを建てていき、教会も偶像崇拝を良しとしていたローマ・カトリックの様式が姿を消していくようになっていきました。
この時代、古代ローマ建築の復古を謳った「ルネッサンス様式」がヨーロッパ大陸において広まる一方、ローマ・カトリックから独立を果たしたイギリス建築では最小限に留まり、ゴシック様式と古典様式が混ざった独自のスタイルを生み出すようになります。
また、16世紀後半頃になるとイギリスカントリーハウスの源泉であるマナーハウスと呼ばれる富を象徴する大きな貴族の邸宅が多く建てられるようになりました。
一般の家屋では、封建主義の崩壊によって力を持ち始めたジェントリや商人を筆頭に、より安全性が高く快適な木造の家(ハーフティンバー様式)が建てられるようになっていきます。
2. イギリスチューダー・エリザベス建築の特徴をくわしく
(1) 国王・貴族の建築
・ヘンリ八世が王妃との離婚を望んだことを発端に始まった宗教革命によって、英国国教会としてローマ・カトリック教会から独立したイギリス。スペインやフランスのカトリック諸国からの攻撃を恐れたヘンリ八世は、沿岸に数多くの堅牢な要塞を建設させていきます。鋳鉄を用いた鉄製大砲の技術開発を成功させ、その大砲を最大限に配置できるように設計しました。
・海外から入ってきた煉瓦の製造技術がイギリスでも広がりを見せていきます。当時、煉瓦は高級な素材であったために、上流階級層の建物を中心にして煉瓦建築が広まっていきました。ヘンリ八世が居住していたハンプトン・コート宮殿は建物全面に煉瓦が取り入れられ、ゴシック、ルネッサンス様式など、この時代に見られた様々な様式を融合した、新たなイギリス独自の建築スタイルとして建てられました。(下に画像があります)
・これまでの垂直式ゴシック様式で見られた先に細く尖ったアーチから、チューダーアーチと呼ばれる尖頭がよりゆるやかなアーチへと変化していきました。
・ヨーロッパ大陸を中心とした印刷技術の発達で、ローマ建築に関する書籍が16世紀前期までのイギリスで出回るようになり、イギリスの建築にもその影響がみられるようになっていきました。ロンドンの旧サマセットハウスなど、書籍を参考にしてより正確なローマ建築の再現が追求されるようになりました。しかしゴシック様式の装飾美は引き続き好んで取り入れられ、既存のイギリス建築と古代ローマ建築が混ざった新たなデザインが、宮殿やマナーハウスに取り入れられていきます。
・エリザベス朝時代の建築では、複数の棟によって構成されたEあるいはHの形をした左右対称なレイアウトが好んで取り入れられます。ホール(広間)の重要性は薄れ、長いギャラリースペースを導入し、絵画のコレクションが展示して内装を飾っていったのでした。
(2) 宗教建築
・15世紀半ばから16世紀前期は、国王が宗教建築において最大のパトロンとなり、ウィンザー城の聖ジョージ教会、ウェストミンスター寺院のヘンリー7世礼拝堂、ケンブリッジのキングス・カレッジ・チャペルなど、大規模なゴシック様式の教会を建てていきました。
・ヘンリ八世は中世時代に力を握っていた修道院の土地を国領として没収。そして偶像崇拝が許されていたローマ・カトリック教の教会建築とは対照に、教えの言葉などを装飾として施した新たな様式が見られるようになりました。
・当時、ヨーロッパ大陸で流行っていた古代ローマ建築を復古させたルネッサンス様式は、ローマ・カトリックの教会からの独立をきっかけに、イギリス教会建築においてあまり見られることはありませんでした。
(3) 一般、その他の建築
・修道院の解散によって彼らがが所有していた土地はジェントリや商人の手に渡り、商店や家屋に建て替えられるようになりました。商人たちは、新しく建てた建物を家や商店として賃貸し、黒死病の暗闇から回復して人口の増加が著しく見られたこの時代に、多くの家賃収入を手にし、その収入で大きく頑丈な家を建築するようになっていきます。
・チューダー朝の時代も、中世から引き続き広間のあるレイアウトが取り入れられていましたが、内装は複数の部屋によって細分化されていきます。また、煙突付きの暖炉が導入され、2階建てあるいは3階建ての縦を活用した広い家が建てられるようになっていきました。16世紀後半くらいになると、石壁や瓦屋根が以前に増して一般の家にも取り入られるようになります。
・柱や梁、筋交いなど木の構造材を外側にむき出しにし、その間を漆喰やレンガで埋めた「ハーフティンバー」と呼ばれるスタイルは中世から引き継がれていましたが、チューダー朝ではより装飾性にこだわりをみせるようになっていきます。外側の梁が細かく施されたデザインや、梁が斜めやカーブに施されたデザインは、富の象徴として人気を呼びました。「オーバーハング」と呼ばれる、2階が1階よりも張り出しているスタイルは特に都心部で多く見られたデザインで、これは一階の間取りの大きさによって税金が徴収されていたために施された策でした。
・中庭を擁した「内向きの建築」が多かった中世建築に対して、暮らしの安全性が向上したことを背景に、外側に装飾を多く施した「外向きの建物」が少しづつ建てられるようになっていきます。また、海外から輸入された高価なガラス窓が16世紀後半頃になると中流階級まで浸透し、富の象徴となっていました。
・中世まで教育は修道院の独占的なものでしたが、宗教革命をきっかけに、16世紀半ばくらいから国王によって無償で文法を学べる学校が建てられ、一般層にも教育が身近なものとなりました。(この時代は第二次世界大戦以前で最も高い就学率だったそうなので、人々の学びに対する強い関心が伺えます)。ケンブリッジ大学やオックスフォード大学の多くの新しいカレッジがこの時代に建てられました。
・アントワープの金融取引センターに触発され、財政家トーマス・グレシャムによって、イギリス初の証券取引所、ロイヤルエクスチェンジがエリザベス一世統治時にロンドンのシティで設立。伝統的な古代ローマの建築をベースに、尖塔の時計台がそびえるデザインで建てられ、のちにイギリス初のショッピングモールが上階に増築されます。これまで決して綺麗とは言えない環境での買い物を強いられていたロンドンのエリートたちが、このプライベート性も担保された空間でショッピングを楽しむことができるようになりました。
・この時期には馬車が誕生し、複数の馬を飼うための大きな馬小屋(ミューズ)がロンドンのあちこちで見られるようになります。今でもロンドンの町で馬小屋があった石畳の細道が、ミューズという住所名とともに残っています。これまで川を下って移動していた貴族や商人たちは、馬車によって手軽に遠方まで出かけることが可能となったため、郊外にヴィラを建築していくようになりました。
この時期の一般建築についてもっとくわしく知りたい方は、下記の本がおすすめ。英語ですがイラスト付きで簡潔にわかりやすくまとまっています。(リンクは日本のアマゾンのアフィリエイトを貼らせてもらっています)
British Architectural Styles: An Easy Reference Guide (England’s Living History) (English Edition)
3. 行ってみたい!イギリスチューダー・エリザベス建築が楽しめるスポット
・ウェストミンスター寺院レディ・チャペル(Lady Chapel / Westminster Abbey):1503年にヘンリー七世が莫大な資金を投じて着工したウェストミンスター寺院のレディ・チャペルは、彼がなくなった後の1516年に完成を遂げます。ファンヴォールトが息を呑むほどに美しい、後期垂直型ゴシック様式建築です。
・ハンプトン・コート宮殿:イングランド初のルネサンス様式を取り入れた建築と言われており、1514年から1528年の間にウォルゼイ枢機卿のために建設され、1529年にはヘンリー八世の手に渡り、彼の6人の妻もここで暮らしました。これまでのゴシック式の装飾から、対称性のあるシンプルなルネサンス様式への移行されたデザインが、建物、庭園の両方で見ることができます。
・ロングリートハウス(Longleat House):1580年に完成したイギリスのウィルトシャー州にあるロングリートハウスは、安定したチューダーの時代に活躍を遂げた職人の自信を建築から感じられるマナーハウスです。ガラスを囲む付け柱やローマ皇帝の胸像が彫られた丸天井など、16世紀半ばのイギリスにルネサンスの思想が浸透しはじめたことをうかがい知ることができます。
・バーリーハウス:エリザベス1世に最も長く仕えた宰相、ウィリアム・セシルが1555から1587年の32年もの年月を経て建てたイギリスのスタンフォードにある邸宅。セシルが初期のキャリアとして奉仕していたサマセット公のサマセットハウスのシンメトリーなデザインに影響を受けていると言われています。映画ダビンチコードなど、有名映画の舞台としても使われるバリーハウスは豪華絢爛な内装も必見です。
・ハードウィック・ホール(Hardwick Hall) :1591年~1597年に渡って、イギリス中東部、ダービーシャーに建てられたハードウィック・ホールこは、背の高くコンパクトで美しい、典型的な後期エリザベス朝のマナーハウス。「ハードウィックのベス」として知られていたシュルーズベリー伯爵夫人、エリザベスのための家で、彼女の権力を表すために高価であったガラスがふんだんに使われて、壁よりもガラスが多いと言われているほど。豪華絢爛なホールやギャラリースペースが見ものです。
いかがでしたでしょうか?引き続き、ジャコビアン・スチュアート朝建築をお楽しみください。
参考文献(すべて英語です)
・British Architectural Styles: An Easy Reference Guide (England’s Living History) (English Edition)
・Gresham College イギリス建築史がとても良くまとまっている動画で、おすすめです!
・BBC