こんにちは。SATOMIです。
イギリスの建物と建築様式を一緒に学ぼうシリーズ、第5回目の今回は 1714-1837年のジョージアン・リージェンシー建築についてです。
余談ですが、私はジョージアン建築様式の洗練された雰囲気のある住宅がすごく好きで、ロンドンで住まいを探すときにジョージアン建築を優先して選ぶほど。今住んでいるところも白壁にペディメント付きの玄関が素敵なジョージアン建築の家です。ロンドンはサウスケンジントン、ノッティングヒルあたりでよく見られますよ。
ジョージアン建築について解説する前に、もし中世からスチュアート朝建築までの4部をまだ読んでいない方は、「イギリスの建物と建築様式①」から順番に読まれることをおすすめします。下記のリンクから飛べるのでご覧になってみてください。
イギリスの建物と建築様式① – 特徴と歴史をわかりやすく – 中世前期 編
イギリスの建物と建築様式② – 特徴と歴史をわかりやすく – 中世編
イギリスの建物と建築様式③ – 特徴と歴史をわかりやすく – チューダー・エリザベス朝建築 編
イギリスの建物と建築様式④ – 特徴と歴史をわかりやすく – ジャコビアン・スチュアート朝建築 編
ジョージアン・リージェンシー建築について( 1714-1837 )
1. イギリス ジョージアン・リージェンシー建築をざっくりと
成人した子を持たなかったアン女王の跡取りとして、英語の喋れなかったドイツのジョージ一世がイギリスを統治していたジョージアン初期の時代。植民地をめぐるフランスとの対立も重なって、イギリスは自国のアイデンティティの確立を求めはじめ、独自の建築スタイルを生み出すことを模索し始めます。
スチュアート時代にブームを起こしていた、16世紀のイタリア建築家、アンドレア・パラディオの古典主義をもとにして出版された建築書物を参考にしながら、古代ローマやギリシャ建築を忠実に再現した建物がイギリスの各地で見られるようになっていき、18世紀の終わりにはそれがイギリス独自のスタイルとして確立されるまでに至りました。この建築は、その後ヨーロッパのみならず、アメリカやロシアなど、世界に渡っていくことになります。
ジョージアン建築は、1714年のジョージ一世による統治からジョージ四世が亡くなった1830年(場合によってはビクトリア女王が就任するまでの1837年)を指し、この時代には1760年に産業革命起きるなど、イギリスにとって大きな発展を迎えた時代でした。産業革命での鉄生産の発達によって、鉄素材がより一般的に建築にも取り入れられるようになっていきました。
2. ジョージアン・リージェンシー建築の特徴をくわしく
・これまでのスチュアート朝時代に取り入れられた華やかなバロック様式は、ジョージアン時代に入ると、よりシンプルな建築を好んだホイッグ党(現在の自民党)によって淘汰され、古典主義のイタリア建築家アンドレア・パラディオによる建築様式(パラディアン様式)が改めて見直されていきます。ジェームズ・ギブスなど、イギリスの建築家によって出版された建築書物はアンドレア・パラディオの設計を参考にして書かれ、それらの書物の拡散によって、イギリスの各所で、イギリス流のルネッサンス建築(古典ローマ時代を再現した建築)が見られるようになりました。
1714-1717年、イギリスのエセックスの地にイギリスの下院議員リチャード・チャイルドのために建築家コーレン・キャンベルが建てた上記の絵の邸宅は、パラディアン様式を再現し、大きなコリント式ポルティコ(玄関前の屋根付きの空間)とペディメント(入り口屋根の三角形部部分)を入り口に施しており、このデザインはその後のイギリス各地の建築に大きな影響を与えました。
・人口が増えてきたジョージ王朝時代は、英国の住宅デザインの最盛期とされ、今日のロンドンでも見ることのできるタウンハウスと呼ばれる縦長で左右対称の均一の取れたデザインの建物が建つようになっていきます(下写真)。エクステリアには古典的なピラスター(付け柱)やペディメント付きのドアや窓、優雅なモールディングを見ることができます。
ドアの上に施されているファンウィンドウ(扇の形をした窓)もジョージアン建築を特徴とするデザインの一つです。
・ジョージア朝時代にイギリスで発展を遂げた、パラディアン様式を取り入れた独自の建築スタイルは、海を渡ってヨーロッパ、アメリカ建築にも影響を与え、アーリーアメリカンスタイルの源流となりました。
・ガイドブックや歴史書の出版や道路網の発達によって、1750年までのイギリスでは国内観光が盛んになっていきました。建築書の出版も増え、中国建築からギリシャ建築まで世界の建築様式を身近に学べるようになったために、一つの建物に様々な様式を融合させた建築が流行っていきます。様々なスタイルを建築に取り入れられることが、この時代の建築家にとって、一流の建築家としての一つの指標になっていたようです。
イギリス南東のブライトンにあるロイヤル・パビリオンはイギリスの建築家ジョン・ナッシュによって、インドと中国の建築様式が取り入れられ、1787年から1823年の長い年月を掛けて建てられました。
・産業革命によって製鉄技術が躍進していったイギリスでは、鉄の製造業者が建築業界に販促活動を行ったことをきっかけに、この頃の建築の素材として鉄が広く取り入れられるようになっていきます。もともとは鉄の耐火性による利便性が評価されて導入されていましたが、鉄素材が可能にする装飾性も認められ、装飾物の一部も鉄でも造られるようになっていきました。(ウィキペディアで鉄素材を取り入れた建築物の写真が見られます)
・ジョージアン時代には、対米国をはじめとした貿易が活発になり、イギリスのリバプールなどの大西洋沿岸部が海商都市として発展していくようになります。リバプールには多数の商業用のドックが建設され、それに並列して建てられたドック・トラフィック・オフィスには、防火対策として鋳鉄を使用したギリシャのドリック式ポルティコ(入り口の屋根付きの空間)が忠実に再現され、そのデザインはロンドンのドック建築にも広まっていきました。
・また季節関係なく海軍が常駐するようになったことを背景に、イングランド南岸のポーツマスやプリマウスには貴族の邸宅のような美しい外観をもった巨大な海軍基地が建設され、イギリスの世界に対する存在感を強く表していました。
・18世紀中盤には、イギリス全体に人工運河が張り巡らされていき、ボートを馬で引きながら、石炭などの物資を運搬することが短時間で行えるようになりました。(リバプールとロンドンも運河によって結ばれていきます。)そうした水路の発達により、レンガや鉄でできた橋、運河沿いには商人が泊まれるホテル、町にはジョージアンのタウンハウスが建てられていきます。一方で、道路の改良や大規模な橋の建設など、陸上のインフラも強化されるようになり、人や物の陸移動時間が短縮され、イギリスの経済に大きな影響を与えました。それによって、馬の交換場所、移動先の宿泊施設としてイン(宿)が次々に建てられるようになります。ロンドンと地方への行き来がより便利に行えるようになったことから、郊外の邸宅はロンドンからの来客を招待するためにより大きなダイニングルームやライブラリースペースが施されていきました。
・産業革命によって紡績が盛んになると、1797年までの間に、およそ900もの紡績工場が国内に建設されていきました。綿は発火しやすかったため、防火対策として建築物への木材使用は避けられ、工場の支柱や梁などにはレンガや鋳鉄が取り入れられていきました。
・この時代に裕福になった商人や金融関係者、専門家などによって、図書館や病院、学校などの公共施設、複合商業施設、バー、劇場など、様々な建物が建設され、新たな都市景観が生まれていきます。ジョージアン時代前期までは、建築家と職人が一連の建築に携わっていたのに対し、産業革命が始まるジョージアン時代後期には、建設プロセスが、設計士、建設エンジニア、請負業者という形で役割によって明確に分けられ、今日に見られるような商業的な形態へと変わっていきました。そのため、見た目よりも機能性が重視された建物が建っていきます。
・1830年前までには多くの都心部でバザール(商店街)が建設されていきます。ロンドンのオックスフォード・サーカス周辺に建てられたパンテオン(現在はもうありませんが・・)にはガラスや鉄素材が使用され、馬車の到着を待つ女性のための待合室などが施されるなど、利便性を高めたデザインが取り入れられていきました。今も残るロンドンのコヴェントガーデン・マーケットは、1828年にイギリスの建築家チャールズ・ファウラーによって再建され、鉄の骨組みに、トスカナ式の柱などを取り入れた、この時代を象徴するマーケットの建築の一つとして知られています。商人を含めた人々が休憩できるカフェスペースや上層階級の人が取引をするテラススペースなどが設けられていました。
・内戦が終結したイギリスで、人々がこれまでよりも衣料にお金をかけられるようになったこと、また教育の発達によってより社交的な会話を楽しむ上流社会が誕生したことを背景に、1720年代以降、社交場や劇場の建設が盛んになり、そこではパーティーやダンス、カードゲームやティータイムなどが楽しまれていました。
・戦費や国債を管理し世界の金融市場で存在感を強めるイングランド銀行。これまでのイングランド銀行の建物はイギリス建築家、ロバート・テイラーによって拡大され、ローマのパンテオンから着想を得てつくられたそのドーム付きの建物は(下画像)、外装は難攻不落の銅製の壁で覆われていました。そしてイングランド銀行はその周辺に金融関係のオフィスを設置し、シティ全体を金融街に変えていきます。その後暴動によって破壊された建物は、イギリスの新古典主義建築を代表する建築家ジョン・ソーンらによって1788年から1833年まで実に45年の歳月を経て建て直されました。
・インテリアにおいて特有のジョージアスタイルというものはなかったものの、この時代に、かつてのイギリス最大の陶器メーカーであるウェッジウッドや、ポール・ド・ラメリーによる銀器、家具デザイナー、トーマス・チッペンデールによる高級木材(アホガニー材)を使用した家具が誕生し、イギリスのインテリア界を大いに盛り上げました。
イギリスの一般の建築についてもう少し詳しく読んでみたい場合はこちらの書籍はイラスト付きで簡潔に説明しているのでおすすめです。 (英語です)
British Architectural Styles: An Easy Reference Guide (England’s Living History) (English Edition)
3. 行ってみたい!ジョージアン・リージェンシー建築が楽しめるスポット
・チジック・ハウス(Chiswick House):1726~9年に建てられたチジック・ハウス(ロンドン)は、イギリスにおける新古典主義建築の先駆的な作品です。16世紀のイタリアの建築家、特にアンドレア・パラディオの影響を受けながら、伯爵バーリントンによって古代ローマのヴィラの再現し設計されました。他にもバーリントン設計のパラディアン様式建築で有名なのは現在はロイヤル・アカデミー・オブ・アーツとなっているロンドン、ピカデリー近くのバーリントン・ハウスです。またロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ近くにあるホース・ガード(Hourse Guards)はこの時代を代表する別のイギリス建築家、ウィリアム・ケントが設計したパラディアン様式建築になるので、一緒に回ってみましょう。
・ケドルストン・ホール(Kedleston Hall):イングランド東ミッドランズ地域のダービーシャー州にあるケドルストン・ホール(1758-77)は、18世紀のパラディオ様式と新古典主義に着想を得た建築の代表例であるだけでなく、ウィリアム征服王の時代にノルマンディーからイギリスにやって来たカーゾン家の先祖代々の住居だったことでも知られています。(カーゾン家は1150年代からケドレストンにいたと推定されます。)
・ザ・サーカス(The circus)とロイヤル・クレセント(Royal Crescent):イギリスの観光地として発達したイングランド西部のバースに建つ、「ザ・サーカス」(1760年頃完成)と「ロイヤル・クレセント」(クレセントは英語で三日月の意。1770年頃完成)は、もともとバースに休暇で訪れるジェントリのために設計されたテラスハウスでした。ジョン・ウッド親子によって建てられたパラディアン様式建築物としてとても有名です。
いかがでしたでしょうか?
続いてヴィクトリア朝様式建築についてご覧ください。
参考文献(すべて英語です)
・Gresham College イギリス建築史がとても良くまとまっている動画で、おすすめです!
・BBC