こんにちは。SATOMIです。
これまで5回に渡ってお伝えしてきたイギリスの建物と建築様式シリーズ、楽しんでいただけていますでしょうか?
今回は第6回目の今回は1837 -1901年のエリザベス朝建築についてです。
もしまだ、前回までの記事を読まれていない方は、下のリンクからチェックして、流れを掴んでから今回の回を読まれることをおすすめします。下のリンクから飛んでみて下さい。
イギリスの建物と建築様式① – 特徴と歴史をわかりやすく – 中世前期 編
イギリスの建物と建築様式② – 特徴と歴史をわかりやすく – 中世編
イギリスの建物と建築様式③ – 特徴と歴史をわかりやすく – チューダー・エリザベス朝建築 編
イギリスの建物と建築様式④ – 特徴と歴史をわかりやすく – ジャコビアン・スチュアート朝建築 編
イギリスの建物と建築様式⑤ – 特徴と歴史をわかりやすく – ジョージアン・リージェンシー建築 編
ヴィクトリア朝の建築は、イギリスに今でもなおたくさん残っているため私が住んでいるロンドンでも至るところで見ることができます。なので建築の歴史や特徴などを知っていると、イギリスの散策がもっと楽しくなると思いますよ。
それでは、早速ヴィクトリア朝様式の建築について、学んでいってみましょう。
ヴィクトリア朝様式建築について(1837 -1901)
1. イギリス ヴィクトリア朝様式建築をざっくりと
産業革命以降、「世界の工場」として繁栄していた大英帝国。資本主義発展の絶頂を迎えたイギリスでは中流階級者が増加し、人々の生活スタイルも大きく変わっていきました。ガラス板や鉄筋の普及はイギリスの建築に大きな影響を与え、1851年に開かれたロンドン万博の会場として建てられたクリスタルパレスはイギリスの高い技術力を世界に知らしめ、イギリスの建築が世界に広まるきっかけにもなりました。
ヴィクトリア時代には古典ギリシャやローマ、エジプト、オスマン、エリザベス、ルネサンスなど過去のスタイルが蘇り、折衷した様式が新たなビクトリア朝様式として定着していきます。(そのため、ヴィクトリアン様式を一概に説明するのはとても難しいのです。)
2. ヴィクトリアン様式建築をくわしく
・カトリック解放令が制定された1829年以降のイギリスでは、街に多くのローマ・カトリックの教会が建てられるようになっていきました。フランス系の建築家、オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージンもカトリックに改宗をし、彼を筆頭にイギリスの建築ではゴシック・リヴァイヴァル様式が広がります。オーガスタス・ピュージンはウエストミンスター宮殿(国会議事堂)などの内装を任されるなどして活躍しますが、40歳の若さでこの世を去ります。 オーガスタス・ピュージンの息子、オーガスタス・エドワードもまた建築家として多くのゴシック様式カトリック教会を残しました。イギリスでは、1830年から1860年の30年のの間に1500もの新しい教会が建設されましたが、それはすべてゴシック様式といわれています。
・世界で最初の万国博覧会が1851年にロンドンのハイドパークで開催され、「世界の工場」としてのイギリスを世界に知らしめる絶好の機会となりました。会場のクリスタル・パレス(水晶宮)は設計士のジョセフ・パクストンや土木技師チャールズ・フォックスを筆頭としたチームによって、一番最初のモダン建築として建設されます。鋳造された鉄骨とガラスを使用した建物は、万博に訪れた海外の賓客に衝撃を与えました。
・ジョージアン時代に引き続き、ヴィクトリア朝時代においても書物を参考にしながら古典ローマやギリシャの建築を忠実に模範する流れが続いていました。リバプールのセント・ジョージ・ホール(下画像)は古典ギリシャ様式を採用、装飾などは古典ローマ様式を取り入れ、床一面にはイギリス発のミントンタイルが美しく敷き詰められました。また、ヴィクトリア時代は、テクノロジーの発展が建築にも反映された時代であり、同建物は空調システムが施された世界初の建築物でもありました。
・19世紀半ばになると若い建築家を中心に、イギリス独自のスタイルを模索するようになります。また、これまで課せられていたガラスやレンガ、窓の所有に対する税金が撤廃されたことによって、建築においてより自由なデザインを施すことが可能となりました。書物をベースにした古典建築の再現から自由になり、様々な国のスタイルをより独創的に取り入れていくようになります。
工業発達に伴う大気汚染で淀んだ空にも映えるような明るい色の建築が取り入れはじめたのもこの時代に生まれた建築の一つの特徴でもありました。
また同時に美術評論家のジョン・ラスキンによって北イタリアのゴシック様式が推奨されます。その流れを受けて建てられたロンドンのオール・セインツ・マーガレットストリート教会では、赤、黒、黄色のレンガを使った外装に、カラフルな大理石やタイルが施された内装で、これまでの教会のイメージを大きく覆すきっかけになりました。
・1860~1870年代のヴィクトリア朝中期には窓税の撤廃と安価な窓ガラスが普及したことで、中産階級者の家にもベイウィンドウ(窓の部分が突出しているデザイン)が施された建物が増えていきました。
・人口が急増した19世紀のイギリスでは、三分の一の人口が都心部に移り住むようになります。工場に並列して一室住居のテラス・ハウスが数多く建てられるようになりますが、トイレやキッチンなどは多くの場合共有で衛生状況は悲惨であり、スラム街として低劣な住環境が問題視されていました。産業革命時期に木炭に代わって石炭の使用が主流になっていきますが、それは大気汚染を引き起こす引き金にもなりました。
そんな劣悪な環境を改善するため労働階級者の住宅においても少しずつ換気システムなどが導入されたり、ガスコンロや水道(水で流せるトイレ)の開発が進められていきます。18世紀半ばくらいから、集合住宅は一戸建てあるいは二軒長屋のようなプライバシーを重視した家に建て替えられるようになっていきました。
上の写真は、バック・トゥ・バックハウスと呼ばれるこの時期に広がった背中合わせに並べられた集合住宅。地方から移り住んだ人が家畜をともに連れてきていたために、悪臭が漂っていたといいます。
イギリスの一般建築についてもう少し詳しく読んでみたい場合はこちらの書籍はイラスト付きで簡潔に説明しているのでおすすめです。 (英語です)
British Architectural Styles: An Easy Reference Guide (England’s Living History) (English Edition)
3. ヴィクトリア朝建築が楽しめるスポット
・国会議事堂(The Houses of Parliament):1834年に火災で焼失した国会議事堂でしたが、チャールズ・バリーとオーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージンによって1840~60年に再建設されます。言わずと知れた世界でも有数のゴシック様式建築。
・セント・パンクラス駅&セント・パンクラス・ルネサンス・ホテル:ヴィクトリア朝時代に発展したエンジニア技術を集結し1868年に創設されたロンドンのセントパンクラス駅は、旧ミッドランド・グランド・ホテルとともに、ヴィクトリア朝ゴシック建築の傑作であり、世界で最も美しい駅の一つとして知られています。曲線を描く赤煉瓦のファサード、重なるアーチ、尖塔など、ゴシックリバイバル様式を取り入れたこの建物は、まるで大聖堂のような荘厳な外観を楽しむことができます。設計者であるジョージ・ギルバート・スコット卿が、3週間の海辺の休暇中にデザインを考案し、50冊ものスケッチブックに装飾アイデアを描いていたと言われています。(こちらのホテルに泊まる際は旧客室をリクエストするのがおすすめ)
・レッドハウス(Red House):1859-60年に建設されたレッドハウスは、ロンドン郊外のケント州、ベックスリーヒースにあるフィリップ・ウェッブ設計の建物。アーツアンドクラフツ運動の起点となった家でウィリアム・モリスと妻ジェニー・モリスのために建てられました。
・カステル・コック(Castell Coch):ウェールズのカーディフ近郊にあるカステル・コックは、森林の生い茂った丘に飛び出た円錐形の屋根がチャーミングで、まるでおとぎ話にでてくるような外観。建築家ウィリアム・バーグスの設計によるものです。13世紀の城跡にゴシックリバイバル様式で再建築し、ハイ・ヴィクトリア朝時代の眩いばかりの装飾品で飾られた内装を楽しむことができます。
・グラスゴー・スクール・オブ・アート(Glasgow School of Art):チャールズ・レニー・マッキントッシュ設計のグラスゴー・スクール・オブ・アート(1896-99年、1907-9年)は、過去のデザインへの回帰を求めるヴィクトリア朝に反対している様子を伺い知ることができるこの時代には先駆的な建物でした。マッキントッシュは、歴史主義的建築に反対し、フランス、ベルギー、オーストリアのアール・ヌーヴォーの垂直幾何学や曲線を多く取り入れました。しかし、彼の退廃的なデザインに対するアプローチはアプローチは、イギリスでは反感を買い、1909年に美術学校が完成したその数年後にマッキントッシュは建築の道を諦めます。
参考文献(すべて英語です)
・Gresham College イギリス建築史がとても良くまとまっている動画で、おすすめです!
・BBC
いかがでしたでしょうか?また次は最終回ですので、楽しみにお待ち下さい。それではまた!