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ウィリアム・モリスとはどんな人物なのかご存知ですか?
アーツ・アンド・クラフツ運動、カントリー調の植物があしらわれた壁紙などとともに覚えている方もいるかもしれません。
デザインや芸術、建築の分野ではその名を知らないものはいないほど有名なウィリアム・モリスですが、実はわたし自身イギリスに来るまで彼のことを知らず、インテリアデザインを勉強するようになってから詳しくなりました。
私が彼を尊敬する一番の点は、自分の満足のいくインテリア家具やテキスタイルが手に入らなかったために、自らがつくりだしてしまったという、そのインテリアに対するパッションと、その行動力。
ウィリアム・モリスは、「モダンデザインの父」と称され、ヴィクトリア朝の美術・建築に最も大きな影響を与えた人物の一人であり、彼が発端となったアーツ・アンド・クラフツ運動は、イギリスのみならず世界的なムーブメントにまで発展した影響力はいまでも語り継がれています。
それでは今回は、ウィリアム・モリスとはどういう人物なのか、歴史をたどってみていきたいと思います。
アーツ・アンド・クラフツ運動については詳しく別の記事で解説しています。ウィリアム・モリスに関連するイギリスのスポットも紹介しているので興味のある方は合わせて「ウィリアム・モリスが主導したイギリス発のアーツ・アンド・クラフツ運動とは?」を読んでみてください。
ウィリアム・モリスとは
ウィリアム・モリスの少年期
1834年、エセックス州ウォルサムストウに裕福な中流階級の家に生まれたウィリアム・モリスは、マールボロ・スクールを経て、聖職者になるためにオックスフォード大学エクセター・カレッジに入学します。そのまま教会に入るつもりだでしたが、ラスキンやカーライルなどの社会評論を読み、芸術の道に進むことを決意します。そして大学在学中に、生涯の友となるエドワード・バーン=ジョーンズと出会い、二人でフランスとベルギーに訪れ、そこで美しいゴシック建築やフランドル絵画を目にし感銘を受けます。
オックスフォード大学を卒業したモリスは、ゴシック・リバイバル様式を専門とするジョージ・ストリートの建築事務所で働きまはじめますが、すぐに退社し、バーン=ジョーンズも師事していたラファエル前派*のダンテ・ガブリエル・ロゼッティ(イギリスの詩人、イラストレーター、画家でいて翻訳家でもある)の指導を受けて絵画を学ぶようになります。
*ラファエル前派とは、16世紀ルネサンスのイタリア画家、ラファエロ以前の素朴な初期ルネッサンスやフランドル美術を模範として、ありのままの自然を見たままに映し出すことを試みた、1800年代地中頃にイギリスで生じた芸術家集団のこと。
レッドハウスとモリス商会
1859年、ジェイン・バーデンと結婚。そして、モリスはストリートの事務所の友人であるフィリップ・ウェッブに、ロンドンのベックスリー・ヒースに建てる自身の新居「レッド・ハウス」の設計を依頼します。伝統的な材料を使い、シンプルなヴァナキュラー式(その土地に根付いた建築)で建てる予定でしたが、モリスは自分が望んだテキスタイルや家具が見つからないことに、自分でデザインすることを決意しました。そして、友人のバーン・ジョーンズ、ロゼッティ、ウェブと一緒に、彼らがデザインした製品を販売するために、後にモリス商会として知られるようになる小さな会社を設立します。
中世復興の提唱
時代は産業革命によって大量生産が進み、粗悪な質の商品がそこら中に溢れえかえっていました。ウィリアム・モリスは熱心な社会主義者であり、中世の時代のように、伝統的な職人技やシンプルなデザインという価値観を取り戻すことを目指していきます。彼のデザインはそんな深い社会哲学を背景にして誕生していったのです。モリスのスローガンは、芸術は「人々の、人々による、人々のためのもの」であるべきだというものでした。
モリス商会は、花や葉をモチーフにしたステンドグラスや壁紙、テキスタイル、家具など、高品質な製品を生み出す会社として、その名を知られるようになっていきます。しかし、これらの製品は手作りであったために高価になり、一般の人々には手の届かないものでした。富裕層にしか届けられない現実を、ウィリアム・モリスは常に苦々しく思っていました。
詩作とアーツ・アンド・クラフツ運動
モリスは詩人としても活躍を見せ、『地上の楽園』(1868-70)などの作品で大きな成功を収めます。また、古典やアイスランドの作品の翻訳や、『The Well at the World’s End』などのロマンスの執筆にも精力を注いでいきました。
1980年代のイギリスは不況が深刻化し、労働運動や社会主義運動が活発化。ウィリアム・モリスも、社会主義者連盟などの過激な政治活動にも積極的に参加するようになります。そして、モリスの芸術と社会主義の思想に影響を受けた次世代のイギリス人たちによってアーツ・アンド・クラフツ運動が始まり、それがイギリス各地に広がっていきました。
1890年、「ケルムスコット・プレス」と称す印刷工房を設立したモリスは、晩年は製本に従事し、活字のデザインにも美を見出していきました。そして1896年、62歳の年にケルムスコットの地で死去します。
ウィリアム・モリスの努力が生んだ理想は、彼が設立したモリス商会での成功をはるかに超えたものでした。モリスの中世への強い関心と、それにより発起したアーツ・アンド・クラフツ運動は、その後のフランスの芸術運動「アール・ヌーヴォー」やモダンデザインの教育機関として設立するドイツの「バウハウス」など、20世紀のデザイン界にまで強く影響を及ぼしました。
イギリスのヴィクトリア朝末期に社会改革者として大きな影響力を持ったモリスの、シンプリシティや職人技術の大切さを説いた思想は、今もなお受け継がれています。
もし、アーツ・アンド・クラフツ運動について詳しく知りたい方は、引き続き「ウィリアム・モリスが主導したイギリス発のアーツ・アンド・クラフツ運動とは?」を読んでみてくださいね。