こんにちは。SATOMIです。
イギリスの街を歩くといろいろなところにマーケットがあるんですが、どんなマーケットにも必ずといっていいほど眩いばかりの銀製品、アンティークシルバーが並んでいて思わず立ち止まってしまいます。
私が住むロンドンのノッティングヒルにはポートベローマーケットがあって、土曜日はロンドンでも随一の骨董市が開かれていおり、掘り出し物のアンティークシルバーから観光客向けの安物まで、さまざまな銀製品を楽しむことができます。
ポートベローマーケットはどいまではどちらかというと観光客(ローカルの観光客も含め)向けになっているのですが、もし良いものだけを見に行きたいというのであれば、ロンドンの銀製品を扱う実際の店舗に行って、専門家の話を聞きながら購入するのが良いのではないかと思います。
今回の記事では、そんなイギリスアンティークシルバーに刻印されているホールマークについて、取り上げてみたいと思います。その銀製品が本物できちんと検査に合格しているかどうかを表す大事な指標で、今日においてもイギリスのアンティークシルバーの品質を維持するためにはなくてはならないものです。
どうしてその刻印が押されるようになったのか、実際にその刻印がどういったものなのかを一緒に学んで、もしイギリスに来たときにはその知識をもってぜひマーケットに訪れてみてください。
イギリスのシルバー製品に刻印されるホールマークの歴史とマークの意味するものとは?
銀製品の査定とホールマーキングは、もともとシルバーを購入する顧客を保護するために始まったずっと昔からのシステムです。
銀は加工する過程で地金と混ぜて強化するため、規格外製品と見分けるのに、合金中の銀の割合を検査することが必要不可欠になります。純度は目で見ただけでは判断できないので、アセイと呼ばれる検査が必須となり、それにより、いつ、どこで、誰が作ったのかがわかる仕組みになっています。
初期の刻印は、西暦500年頃にビザンチンで導入されたのが始まり。現在のヨーロッパのホールマーク制度は、フランスで考案され、その後急速にヨーロッパ全土に広まりました。
イギリスでは、1300年に制定された法令により、検索と刻印が義務づけられ、1327年にはゴールドスミス・カンパニーが分析鑑定の専門機関として王室から認可を受け、ロンドンの公式マークとなるレオパードを使用し始めました。

1363年からは、すべての金細工師が独自のマークを刻印することが義務付けられます。1478年には、フランスに倣って日付を表す文字も刻印されるようになり、1544年には、スターリング・スタンダード( シルバーの含有率が92.5%を満たすもの)を証明するライオン・パサンあるいは王のマークが追加されました。


1697年から1720年までの間、金細工師がコインを原料にするのを防ぐ目的として、より高品質の銀(シルバーの含有率が95.84%で、ブリタニア・スタンダードと呼ばれる)を証明するマークが使用されていました。

1784年から1890年にかけては、新しい銀の物品税が支払わていることを示す、王の横顔を象ったデューティー・マークが刻印されるようになります。

銀需要の高まりにより、国は1423年までの間に7つの地域に検定所を設立し、それぞれの固有のタウンマークを設定しました。ヨーク、ノリッチ、ニューキャッスル、ブリストル、リンカーン、ソールズベリー、コンベントリーにはじまり、エディンバラ(1457年)、エクセター(1575年)、チェスター(1687年)、シェフィールド、バーミンガム(1773年)が後に続きました。(これらのうち、最後の2つは現在も機能しています)

いかがでしたでしょうか?
刻印されるホールマークがどんな意味を持っていたかを理解すると、次にアンティークシルバーを見たらそれを読解してみたくなりますよね。
日本でも、イギリスでも、こうした古くから継がれてきたクラフトマンシップを感じるものを見ると、その国の歴史や文化を知ることができてとても面白いなと私は感じます。
銀製品は私もとても興味があってまた別の記事でも解説していければと思っているので、楽しみに待っていて下さいね。
それでは。
今回の記事を執筆する際に参考にした、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の文書を英語で勉強したい方のために載せておきますね。
参考原文
Testing and marking silver is an ancient system of customer protection.
Silver is mixed with base metal to strengthen it for working, so it is essential to establish the proportion of silever in the alloy to identify sub-standard wares. Purity cannot be determined by eye, so a chemical test, or assay, is required. Article so tested are then marked with official punches.This sophisticated system indicated when, where and by whom an article was made.The earliest systmatic marks were introduced in Byzantium around 500 AD. The present European system of hallmarking was invented in France, and was rapidly adopted across Europe. In England the sterling standard was set at 925 parts per 1000 as early as 1238. A Statue of 1300 made assay and marking compulsory, and in 1327 the Goldsmiths’ Company received its royal charter as the regulating authority, responsible for the official London mark, the leopard’s head. From 1363, every goldsmith was required to strike his own distinctive mark. In 1478 a date letter, following French practice, was introduced to identify the warden responsible for testing and marking, and in 1544 the lion passant, or king’s mark, was added, indicating sterling standard. This was briefly replaced between 1697 and 1720 by the Britannia standard, a higher quality silver (958.4 parts per 1000), aimed at preventing goldsmiths from using coins as raw material. From 1784-1890 the duty mark, the monarch’s head, showed when excise duty on new silver had been paid.
By 1423 the volume of work was such that Parliament authorised seven regional assay offices, each withits own town mark. York, Norwich, Newcastle, Bristol, Lincoln, Salisbury and Conventrey were followed by Edinburgh (1457), Exeter (1575), Chester (1687), Sheffield and Birmingham (1773). Of these, the last two are still active.
Victoria and Albert Museum, London